未来を変える「あの会社」 【vol.3】オフィスだけの街から脱却!丸の内を世界で最もインタラクションが活発な街へ

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再構築で風景が一変 古いオフィス街が多様な人々の集まる街に 皆さんは物理の授業で「慣性の法則」について習ったのを覚えているでしょうか。物体は外部から力を加えられない限り、静止または等速運動をそのまま続ける、というものです。実は街づくりについても同じことが言え、何か新しい状況が生まれたり、あるいは困ったことが発生したりしないと新しい街づくりはなかなか動いていきません。現在のにぎわいからは想像が難しいかもしれませんが、丸の内も1990年代の後半には紙面に「黄昏の街、丸の内」と書かれ、揶揄されたような時期もありました。では、丸の内にはどのような力が外部から加わり、再構築が始まり、現在のように発展していったのか。順を追って皆さんにご紹介していきましょう。 1998年に三菱地所が「丸の内再構築」を表明し、2002年に丸ビルが竣工して以降、大手町、丸の内、有楽町の丸の内エリアでは多くの新しいビルが建設され、日本を代表するビジネスセンターとしての整備が行われました。現在、この120ヘクタールのエリアには約23万人の就業者と約4200社の企業が集まっています。その中で東証一部上場企業は75社で、売上高を合計すると120~130兆円になります。並行して丸の内仲通りのブランドショップをはじめとする商業施設や三菱一号館美術館などの文化施設が次々にオープンし、いまや丸の内エリアはビジネスパーソンだけではなく、多様な人々でにぎわう街へと進化を遂げました。 丸ビルが完成する前の丸の内は、街を歩いているのはダークスーツの男性ばかりで、ビルの中もほとんどがオフィス。土・日曜日は人通りが非常に少なく閑散とし、「目立たずデートするなら丸の内」と言われていました。ただ、それは決して悪いことだったわけではありません。日本の高度成長を支えた重厚長大産業を中心とする旺盛なオフィスニーズに応えた結果、そうした街が形成されたのですから。丸の内の風景は時代を反映していた、といってもよいでしょう。 しかし、1990年代の半ばぐらいから我々が強い危機感を持たざるを得ない変化が起こるようになりました。テナント企業が丸の内から別の場所へ本社を移転する動きが発生するようになったのです。空室率は一桁前半で数字だけを見れば大きな変化ではありませんでしたが、丸の内全体のオフィスビルは満室状態が続き、入居を希望いただいてもお断りせざるを得ない状態が続いていた三菱地所にとっては大きなショックでした。何より問題だったのは、丸の内を出ていくテナントに元気のある成長企業が多かったことです。どんな企業や人々が集積するかが街の生命線ですから、我々にとって状況は非常に深刻でした。 丸ビル竣工前、丸の内では長らくクレーンが立っていない、すなわち新しいビルの建設がありませんでした。竣工後50年、60年とたった古いビルであっても、昔と同じ仕事をずっと繰り返している企業であれば移転する必要はないのかもしれません。しかし、成長している企業はどんどん新しいものを求めます。電源容量が足りない、照明が足りない、サーバーを持ち込める環境が欲しい……。丸の内のオフィスビルは、いつしか時代のニーズに応えられなくなっていたため、成長している企業は他地区の新しいビルに転出していったのです。 ただ、ピンチは決して悪いことばかりではありません。そもそも古くなったビルを建て替えるには、入居しているテナントに別のビルへ移っていただく必要があります。それには移転先となる空室が必要ですが、丸の内には空室がなかった。故に建て替えが難しいという事情もあったのですが、そう考えると空室の発生はチャンスだったとも言えます。再開発を行って新しいオフィスビルをつくることで、時代のニーズに応えることができるようになりました。空室の発生は我々が一度は通らなければいけないピンチであり、チャンスであったと思います。

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