みんなが集う「家」の夜ごはん|街は食卓。 第2話 「Bar太田尻家」編

先日、実家から荷物が届いた。ダンボールいっぱいに詰められていたのはわたしの好物ばかり。野菜もたくさんもらったので、今週は自炊しようと意気込んでいたのに。

思いのほか仕事が忙しく、帰宅してからキッチンに立つ気にはなれないまま迎えた週半ばの水曜日。今日は少し早く帰ってこれたけど、それでも「これから料理をしよう!」という気分じゃない。実家に住んでいた頃は、家に帰ると食事が用意されているのが当たり前だった。そのありがたさに気付いたのは、ひとり暮らしをはじめてから。

シンプルなおかずと、ほかほかごはんにお味噌汁。そんな飾らない「夜ごはん」が食べたくなって、普段着に着替えて街に出た。下高井戸駅の方には向かわず、経堂駅方面へと南下。以前、友だちとふたりで入ったあのお店に行ってみよう。

住宅街を15分ほど歩くと、ずずらんの形をした街灯が目に入った。あの街灯が、経堂駅の北口から伸びるすずらん通り商店街の目印。床屋さんに肉屋さん、八百屋さんはもう店じまいみたい。昔ながらの雰囲気が残る商店街をキョロキョロしながら歩く。確か、この辺りだったと思うんだけど……。

現れたのは、上半分がレンガ、下半分が白壁の建物。白壁にはツタが絡まり、どことなく異国情緒も感じる佇まいだ。「Bar太田尻家」というお店の名前も印象的で、ひとりでも来てみたいと思っていた。橙色の灯りに誘われるように扉を開く。

ふわりと漂ってきたのは、きっとスモークサバの匂い。前に食べたサバサンドもおいしかったなぁと、さっそく食欲が刺激される。テーブルふたつとカウンター、キッチンだけの小さなお店はまだ開店したばかりのようで、わたし以外のお客さんはいなかった。以前は満席だったから、これから混んでいくんだろうな。「いらっしゃい」と囁くような声で迎えてくれたマスターは、真剣な表情でガスコンロの火加減を調整中。カウンター席にも惹かれたけど、今回は窓際のテーブル席に座った。

壁に掛けられた黒板には、しめさば、米とパクチーのガレット、カレー椀、そら豆アイスなど、魅力的なメニューが並んでいる。見ているだけでもお腹が鳴りそう。頬杖をついて悩んでいると、マスターがお通しの鶏根菜煮を持ってきてくれた。これは間違いなく日本酒に合うはず。そう直感して、まずは一合注文。大好きな銘柄の日本酒が、ワンコイン500円で飲めるのがとてもうれしい。

すぐにやってきた日本酒の器は、なんと三角フラスコ。理科の実験以来の再会にびっくり。店名どおり「家」っぽい雰囲気の落ち着いた店内ながら、ところどころに不思議なものが飾られているし、寡黙に見えるけど、実はお茶目なマスターなのかもしれない。

本日の一杯が決まったら、あれだけ悩んでいた献立もすんなり決まっていく。一品目は「うまだし玉子」を頼んだ。キッチンから聞こえてくるじゅうじゅうと卵を焼く音を聞きつつ、口当たりのいい日本酒をひと口。包丁がまな板を叩く音、オタマで鍋をかき混ぜる音……子供の頃、お母さんが料理している音をこうやって聞いていたっけなぁ。なんだか今日は、ちょっと酔いがまわるのが早いみたい。

ほわほわと湯気の立ち上るうまだし玉子を持ってきてくれたマスターに、ずっと気になっていた店名について尋ねてみる。

「僕は田尻で、奥さんは太田。結婚前に同棲をはじめたとき、ふたりの名字を合体させて『太田尻』っていう表札を出したの。それをそのまま店名にしたんだよ」

なんてかわいらしいエピソード。そして、やっぱりお茶目な人だった。ほっこりしながら、お待ちかねのうまだし玉子を頬張る。とろけるような柔らかさ、ダシの旨味……滋味あふれるおいしさが全身に染み渡っていく。ふた口目はわさび醤油で。ピリッとしたアクセントが絶妙! これはお酒が進んでしまう。

二品目の「納豆のり巻き揚げ」は、納豆を海苔で巻き、サクッと油で揚げたシンプルな一品。それなのに、なんでこんなにおいしいんだろう。ふと、実家から届いた荷物の中に、海苔も詰めてあったことを思い出す。マスター、これってわたしでもつくれますか? 感動のあまり、そんな質問をキッチンで一服しているマスターに投げかけてしまった。

「うちで出している料理は難しくないよ。食材も、ほとんどスーパーで手に入れたものばかりだしね」

聞いておいて何なんですけど、料理はあまり得意じゃないんです。そうこぼすと、「好奇心があれば、どんな料理もつくれるよ」とマスター。なるほど、好奇心かぁ。

フラスコの中の日本酒も残りわずかになり、いよいよ締めへ。「ご飯と味噌汁とお新香」で締めようということだけは、最初から決めていた。ツヤツヤのお米の上に乗った刻み大葉がうれしい。豆腐とネギのお味噌汁には、里心を呼び起こす力があると思う。次のまとまったお休みには、久しぶりに実家に帰ろうかな。

少ししんみりした気持ちになってしまったので、他のお客さんがいないのをいいことに、またマスターに話しかける。「居酒屋や食事処というより、遊べる場所がつくりたかった」と言うマスター。常連客の中には、学生の頃からお店に通い、社会人になり家庭を持ってからも、変わらずやってくる人も多いのだとか。

「この店が、若い人たちと知り合えるきっかけになってくれているね。お互いの立場は関係なく、普通の『友だち同士』になれるのがいいんだ」

マスターの呟くような優しい声を聞いていると、こちらもつい本音をポロリ。突然の人生相談にも、ほどよい距離感で答えてくれる。ごはんとお酒と楽しいおしゃべりで、身体がポカポカとあたたかい。すっかり長居してしまったけど、そろそろ帰らなきゃ。

「ごちそうさま」に返される「また来てね」の言葉。次にこの「家」を訪れるときには、「ただいま」が言えたらいいな。

取材:田中未来 編集:菊地飛鳥 企画構成:haletto編集部

写真:川瀬一絵
島根県出雲市出身。忘れっぽいことへの焦燥感から写真を撮り始め、些細な体感を収集するように撮影を続けている。
近所や訪れた先々で適当に散歩して道に迷うのが趣味。

Bar太田尻家

東京都世田谷区宮坂3-51-1 海野ビル1F
営業時間:19:00-25:00(LO翌24:30)
定休日:金曜・木曜※月1回のみ。HPの営業カレンダーをご確認ください
Webサイト:
http://www.ne.jp/asahi/ootajiri/ke/

金額など掲載の情報は、記事公開時点のものです。変更される場合がありますのでご利用の際は事前にご確認ください。

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この特集について

街は食卓。― 2018年5月特集

今日もお疲れさま、わたし。お腹をペコペコに空かせて、帰ってきたのは京王線の下高井戸駅。新宿から5駅、渋谷からもおよそ20分という便利さに惹かれ、暮らしはじめて2年が経つ。いい仕事ができた日、落ち込んでいる日、色んなわたしを知っているこの街...

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