【scene 01 ― 心を込めた東京レター】思えば遠くへ来たもんだ ― 「私の原風景」を探して 前篇

アラウンドサーティーになると、それは酸いも甘いも色々なことがあったなとつい振り返ってしまいます。海援隊の名曲「思えば遠くへ来たもんだ」と言っても、もちろんリアルタイムの世代ではないですがその気持ちはなんとなく共感してしまいます。そして、当たり前ですが、もう10代でも20代でもない自分に、ふと驚いてしまうこともしばしば。

あの時あの街にいた、あの時あの人と出会った、あの時あんなこと思っていた……。そういうことを漠然と考えていたよく晴れたある秋の日の朝、編集会議の冒頭に、それぞれの原風景を思い出してみました。

「私の原風景①」鈴木直道

原稿用紙

原稿用紙

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幼い記憶、駐車場には父の愛車の黒いパジェロが止まり、ロール式の窓ガラスを覗くとそこには無数の蛍の光が田んぼの上を浮かんでいた景色を微かに覚えています。

幼稚園入園時には、父方の実家の足立区千住に引っ越しました。祖父の土地にロフト付きの水色の家を建て、お気に入りのロフトの窓からは、ドラえもんに出てくるような空き地が見え、その空き地でサッカーをした後、祖父と近くの銭湯に汗を流しに行ったのを覚えています。

祖父と行った銭湯

幼稚園年中になった時には、母方の実家がある戸塚に戻りました。大きな池でザリガニを捕まえたり、畑で芋掘りをしたり、ドロドロになりながらも毎日楽しく過ごしたのを覚えています。同じ時期に弟も生まれ、しばらく戸塚に住むことになり、家から近くの豊田小学校に進学しました。

学校生活も慣れた頃、父の仕事の関係でアメリカのカリフォルニア州サンディエゴに引っ越すことになりました。アメリカにいる時は、家族で旅することが多く、メキシコからサンフランシスコまでカリフォルニア・ミッションを車で巡ったり、グランドキャニオンや自由の女神などアメリカ各地の景色を見に行きました。

街の風景

中学校3年生までサンディエゴに滞在後、また日本に戻ることになりました。今度は、東京都三鷹市にある、自分みたいな帰国子女が多く通う大学付属の高校に入学し、学生寮に入りました。東京とはいえ、かなり田舎でどこへ行くにも、自転車が必須な場所でした。

日の出を見に、仲間と一緒に部活をサボり、ママチャリで深夜の歌舞伎町を駆け抜け、レインボーブリッジを渡り、羽田空港まで夜な夜な自転車を漕いだり、自分達が住む東京の街が面白く、意味もなく東京の街を自転車で走り回っていました。

新しい街との出会いは、普段忘れていた思い出と再会する瞬間でした。社会人になった今、あまり長く住めなかった足立区北千住に家族4人で住んでいます。

窓から見えた北千住の風景

 

「私の原風景②」百江

原稿用紙

原稿用紙

ベッドタウンとして昭和の終わり頃から開発の進んだ街が、わたしのふるさとです。埼玉県北部の小さな街。もとは水田地帯で沼や田んぼが広がっていたものを、埋め立ててつくられた住宅地です。二十数年前、両親はこの街にマンションを買い、移り住みました。

たくさんのベランダがついた大きなマンションが4つ並び、囲まれた広場にはオブジェが立っています。周囲には百軒以上の戸建てがひしめき、スーパーやチェーンのラーメン店、ゲームセンターなどの大きな施設が、国道の通る川の先に見えます。

さて、マンションの裏、いつも太陽の陰になってしまう北側に、大きな田んぼがあります。玄関ドアを出た通路はこの田んぼに面していて、夏でもひんやりした影の中の駐車場の先に、青々とした稲が風にゆれているのです。その草いきれ。

春。田植え直前の水を張られた田んぼでは、水路のタニシやメダカをさがします。夏。カエルの声がひびいて、風呂まできこえてきます。秋。稲穂は一気に色づいて、重い頭を風にゆらしています。どこか香ばしいにおい。冬。稲刈りが終わった田んぼには、根元だけが残されて規則正しく並んでいます。

毎年初日の出は、霜の降りたこの田んぼから拝むのがわたしの家族です。実家を出て暮らすようになったいまでも、ときたま、ふるさとへ帰ります。むかえの車が角を曲がったとき。マンションが目に入るよりも先に、稲のにおいが帰宅をしらせます。

約二十年暮らした家。平地を北から南へ吹く風が我が家を抜けていくとき、田んぼの今も連れてきます。自分が最も変化していった少女の時代。毎年おなじ四季をくり返していた田んぼは、生活の背景でした。

今日のわたしをそこに立たせたら、どう見えるのでしょう。田んぼはそろそろ、稲刈りを終えます。

田んぼ

 

「私の原風景③」佐藤有香

原稿用紙

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線路沿いに咲く菜の花の黄色、野の草の緑色の中を蒸気機関車が走り抜けます。車窓から見えるだろう景観は、どこまで行っても田んぼや畑。

私の生まれた街は、東京育ちの友人なら「のどかな所だね」という感想を持つような田舎です。茨城県下館市。街の自慢は「SLが今も走る街」というところ。北に日光連山、南に筑波山が見える高台の住宅地にある自宅の一室で、蒸気機関車特有の「ポォーー!」っというかすれた汽笛の音が聞こえていたのを懐かしく思い出します。

都会に憧れて、ここではないどこかへ行くことでドラマチックに自分の人生が変わるだろうと、18歳の私は考えていました。けれど実際のところは、さほど劇的な変化はなく、十四年過ごせば、東京の喧騒や地下鉄の複雑さにはなれたものの、ふとした瞬間、帰りたい場所としていつも心の中にあるのは、空が広く四季折々の草花がのびのびと育つあの故郷の風景。

そしてノスタルジーに浸るとき、思い出す風景とともにあるのは決まって祖母の柔らかい手です。両親が共働きだった私はいわゆる鍵っ子で、夕方、誰もいない暗い家に帰宅することもしばしば。小学1、2年生の頃は両親の帰宅が遅くなる日は、実家から徒歩30分の距離に住んでいた祖母の家まで赤いランドセルを揺らして通っていました。

物知りな祖母は、いつもおだやかで笑顔を絶やさず、いろんなことを私に教えてくれました。折り紙で作るくす玉、草餅に適したヨモギの選び方、蕎麦の打ち方……そんな祖母が大好きで、祖母の家は私のもう一つの家のような落ち着く場所でした。

ある日、ちょうど蒸気機関車が通過する夕刻の時間に、祖母と一緒に近くの踏切まで機関車を見に行ったことがあります。オレンジ色の夕陽に照らされる見上げるほど大きなSLの車体、白い蒸気の煙とガタンゴトンと線路の鳴る音、そして幼い私の手を包む祖母の温かい手。今でも目を閉じるとまぶたの裏に蘇る、懐かしい私の原風景です。

茨城県

後編へつづく。

halettoは、アラウンドサーティーに贈る、まだ知らないTOKYOの新ガイドブック。知っているようで知らなかった東京という街の魅力を紹介します。都心だから守られた豊かな自然、歩いてみてわかった街のすがたとそこに住むひと、美味しい発見。あなたが素敵な休日を過ごすための情報をWebマガジンで発信、ワークショップ・イベントを通して価値観を伝えます。

この特集について

11月特集ビジュアル

心を込めた東京レター

公園の木々の葉は色付き、外苑前の銀杏並木は金色に輝いています。朝6時半、大手町から皇居の周りを走り始めれば、時折白い息の向こう側に、紅葉の鮮やかさが映り込み、思わず目が奪われます。お堀に写った紅葉と高層ビル、ランナーたち。東京の朝です。 日没も過ぎて秋の夜長、皆さんはどうお過ごしでしょうか。台湾映画を見たり、イギリス小説を読んだり、月を眺めたり。少し肌寒くなったこの季節は、とかく感覚が鋭敏になります。きりきりとしたそんな感覚をホット・バタード・ラム・カウをいただいてほわっとするのも良しでしょう。 眠る前におすすめなことが手紙を書くこと。遠く離れた家族へ、近くにいる恋人へ。10年後の自分へ。電話でもメールでもない、あなたの文字で書くこと。一言でも、二言でも、まとまりもなくていい、日々を書くこと。便箋を前にして、何を想いますか。