東京で古墳を探せ!③等々力「野毛大塚古墳」

子どもの頃、公園の遊具は今よりも大きく見えていました。特に公園の中にある小さな丘は山のように見えて、友達と競うように駆け上がったのを覚えています。世田谷区の玉川野毛町公園内でも同じような光景が見られますが、ここで子どもたちが登っているのはただの丘ではなく、1600年前から残る古墳なのです。

巨大古墳を求めて降り立ったのは、東急大井町線の等々力駅。南口を出て、目の前に続く道をひたすらまっすぐ進み、「等々力不動前」の交差点を右折します。冷気漂う等々力渓谷を通り過ぎ、「野毛公園前」交差点が見えた頃、玉川野毛町公園に到着です。

等々力駅付近の道

目的の古墳「野毛大塚古墳」は、公園入口から向かって左側にあります。公園管理事務所や野球場、テニスコートの横を通り、道なりに歩くと「野毛大塚古墳」の碑と、お椀を重ねて伏せたようなきれいな形をした小丘が現れました。

野毛大塚古墳

ここは、今から約1600年前、5世紀初めに造られたと考えられている古墳です。誰が埋葬されたのかは明らかではないようですが、多摩川流域全体を支配した、強力な王のお墓だとされているそう。早速、目の前の階段を登って頂上へ登ります。

頂上部は視界が大きくひらけて、街の様子を少し高い視点から眺められました。視野を遮るような大きな建物もなく、心地良い風が通り抜けて、ちょっと開放的な気分に。

野毛大塚古墳の頂上

円形の頂上には、なにやら白く埋め立てたような跡がありました。これらは、埋葬施設の跡だそう。ここから刀剣や銅鏡など副葬品が見つかり、右側の埋葬施設跡からはなんと、赤く塗られた人骨も出土しているのだとか。

現代まで残る古墳は、形が大きく崩れてしまっていたり、古墳だと伝わってはいるものの被葬者の痕跡が見つからなかったりと、謎に包まれがちな存在です。そんな中、こんなにも“ここに誰かが埋葬された”とはっきり感じられるこの古墳は、とても貴重なのかも知れません。

野毛大塚古墳の頂上2

また、当時貴重だった鉄製の武器が多く出土していることや、ホタテ貝のような特徴的な古墳の形などから、現在の大阪・奈良・京都にあった政権とも結びつきがあったと考えられているそうです。

関西は今でこそ気軽に行ける場所ですが、古墳時代当時はそうそう簡単に移動できる距離ではありません。しかし、ここには関西から伝わったエッセンスがそこかしこに見られ、この古墳の凄みをひしひしと感じます。

それほど圧倒的なスケールを誇る古墳なのですが、すぐ隣には子どもたちが遊ぶ広場があり、時折友達と一緒に階段を駆け上がってはしゃぐ子の姿も見られます。頂上まで来ては、下で待っているお母さんに向かって「やっほー!」と叫んでいます。古墳というより、見晴らしの良い大きな遊具のような感じなのでしょう。

古墳で遊ぶ子ども

登ってきた階段とは別の場所から下り、古墳の周りを歩いていると、円形の丘とは違う四角い台地を発見。これはいわゆる、前方後円墳の“前方”にあたる部分です。でも、よくよく見てみると四角い台座がもう一つあります。前方部の隣にあるのは「造出部(つくりだしぶ)」という場所で、この古墳への祭祀を行う場所だったのだとか。

細部まであまりにもきれいに残っているからなのか、「古墳がある!」と言って写真を撮ったり、興味深そうに登ったりする通りがかりの人もよく見かけます。一目見て「古墳だ」とわかる場所は珍しいのでしょう。

古墳の造出部

すぐ隣には子ども用の遊具や、グラウンドがある中、巨大な古代の痕跡が現代に溶け込み、どっしりと鎮座しています。なんとも不思議な光景です。

先ほど頂上ではしゃいでいた子たちは、あと何年かしたら学校で地域の歴史を習うかも知れません。今まで秘密基地のように親しんで登っていた丘が遥か大昔の遺跡だと知ったら、きっとびっくりするでしょう。

玉川野毛町公園

東京都世田谷区野毛1丁目25番1号
TEL:03-3704-4972(玉川公園管理事務所)
営業時間:常時開園
定休日:年中無休(管理事務所・各施設は年末年始休業)

ライター

埼玉県生まれ、群馬県育ち、東京都在住の関東人。エジプト、トルコ、ギリシャ界隈の歴史が大好きな世界史系歴女。シャーマニズム、古今東西の墓文化、ハロウィーンなどミステリアスなものにも惹かれる。

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