幽霊、鬼、天狗? ― 現実と夢のあいだで浮かびあがるもの 松が丘【哲学堂公園】

日本各地に妖怪やお化けの噂話があります。かつて世の中の様々な「不思議」を研究し、通称「妖怪博士」といわれた学者がいました。東洋大学の創立者である井上円了です。妖怪博士が構想しつくった不思議な公園が中野区にあると聞き、訪ねました。

井上円了、和室において40代後半(東洋大学井上円了研究センター蔵)

西武新宿線新井薬師前駅の北口から、目の前に伸びる道をひたすら道沿いに歩くと、目的の場所「哲学堂公園」があります。公園事務所の植竹薫さんの案内で、広い公園内を巡ってみることにしました。

哲学堂公園は哲学者井上円了が1904年に哲学を学ぶ場として創設した公園。なんと、ここは哲学の世界を視覚的に表現していて、哲学に由来するスポットが77か所もあるとのことです。では、哲学の世界を視覚的に表現、とは一体どんなことなんでしょうか。

まず目の前に現れたのは、重厚な瓦屋根がついた門。

植竹さん:「これは哲理門(てつりもん)といって、俗称では妖怪門ともいわれています。この門から連なる垣根を一元牆(いちげんしょう)といい、俗世界と哲学世界の境界を表しています」

どうやら、この門をくぐると現実世界から哲学世界へ足を踏み入れられるようです。瓦をよく見ると、先端にはすべて哲学の「哲」の文字が! なんとも、ただならぬ雰囲気が漂っています。

門の両側にある柵に覆われた場所を覗くと、中に2つの像があります。右側が「物質世界の不思議」を表した「天狗」の像、左側が「精神世界の不思議」を表した「幽霊」の像です。では、いよいよ哲学世界へ入ります。

公園事務所の植竹薫さん

門をくぐった先には、いくつかの建物や林に囲まれた広場がありました。

植竹さん:「正面の建物が、四聖堂(しせいどう)といって、この公園内で最初に建てられた中心的な場所です。孔子、釈迦、ソクラテス、カントの4人の哲学者を祀っています。哲学が東洋と西洋に分かれ、東洋哲学が中国とインドに分かれ、西洋哲学が古代と近世に分かれるため、それらの中から井上が代表的な人物を選びました」

井上円了は、幕末から明治へと移り変わる激動の時代に、現在の新潟県に生まれました。長い鎖国の時代が終わり、欧米文化が次々と流れ込んできた激変の時期に、社会観念や迷信に囚われた日本人の心を解放し、よりどころとなるものの考え方を育てようと、哲学研究と教育に情熱を注ぎました。そのひとつのかたちがこの哲学堂公園だといいます。

実はこの場所は、源頼朝の家臣和田義盛の城が建っていたと伝わる場所で、周囲よりも少し小高い丘になっています。近くには、清らかな川が流れ、心地良い風が吹き、武蔵野の自然に恵まれたこの場所は哲学を学ぶ場にぴったりだと、井上が気に入ったのだそうです。

広場には、中心となる四聖堂の他、色々な思想家たちに由来する、独特のモニュメントが建てられています。聖徳太子や朱子など6人の賢者を祀った六賢台(ろっけんだい)、神道・儒教・仏教の3人の学者を祀った三学亭(さんがくてい)など、歴史や倫理の授業で習った有名人の名前が続々と登場します。この広場はいわば、哲学の歴史を象徴しているのでしょう。

植竹さん:「井上は哲学を、ものの考え方の基礎、として考え、この公園内には井上の哲学観を“見える化”したスポットがあります」

植竹さんの後について林の中に入ると、丘を下る階段が現れました。

植竹さん:「哲学には2つの立場があるといわれています。一つが、ものの存在の根拠を物に求める『唯物論』、もう一つがものの存在の根拠を心に求める『唯心論』です。古代の哲学は当時未知であった自然現象を科学的に解き明かそうという試みの積み重ねにより発展してきました。この階段は唯物園に向かう道で『経験坂』といいます」

経験坂を下ると、「唯物園」という名のちょっとした広場に出ます。日光が降り注ぎ、隣には川が流れ、開放的な雰囲気です。中心には唯物論の「物」の字を模した花壇「物字壇(ぶつじだん)」があります。

経験坂から唯物園への道のりは、自分の経験から答えを導き出す唯物論の過程を表現しているのだといいます。なんだか、哲学の世界を視覚的に表現、の意味が少しずつわかってきた(ような)気がします。

唯物園には狸の形をしたオブジェがありました。狸燈(りとう)というこの像は、狸の姿で嘘や高慢さなど人間の闇を表現し、お腹に仕込まれた灯籠の灯りで人間の光を表しているのだとか。

この狸の像も、私には狸の姿を借りて表現された人間のように思えました。彼は人間の中に妖怪を見ていたのかもしれません。

唯物園を抜け、川沿いの道を歩いていくと、「独断峡(どくだんきょう)」という場所に着きます。

植竹さん:「今、通り過ぎた道を『独断峡』といいます。唯物園に至る道である『経験坂』が客観的に得られた『経験』を表しているのに対し、唯心庭に至る道である『独断峡』は主観的な考えに導かれた『独断』を表しています」

唯心論を表現した「唯心庭」は、中心に「心」を表したという大きな池があり、頭上いっぱいに木々が茂っていました。人間の心を表しているからでしょうか、日光に照らされて明るい印象だった唯物園よりも、涼やかで静かな雰囲気です。

唯心庭にも、唯物園の狸燈のように、灯籠を置く像がありました。鬼のような形相をしたこちらの像は、その名も鬼燈(きとう)。昔は頭上に灯籠を置いていたという鬼燈は、人間の邪念が良心に押さえつけられ、苦しんでいる様子なのだそう。ここでは人間の邪念を鬼の姿で、良心を灯籠で表現しています。

ここから中心の広場に戻るには、また2通りの道があるようです。

植竹さん:「一つは『直覚径(ちょっかくけい)』という最短距離で進む道、もう一つは『認識路』という迂回する道です。目的の場所は同じなのですが、答えに辿り着くまでの道のりの違いで、考え方の違いを表しています。即ち、直覚路はひらめきのように経験や推理などによらず、いきなり答えに到達することを表現し、逆に認識路は物事に対して深く考えて答えを求めることを表現しています」

ではさっそくと、認識路を選び、林の中の坂道を登っていきます。認識路の途中には、哲学の考え方の一つ「演繹法」を表した傘型の「演繹観(えんえきかん)」、「帰納法」を表した「帰納場(きのうじょう)」がありました。むかし、倫理の授業で習った、ちょっと懐かしい言葉です。高校生の頃はよくわからなかったけれど、この道を歩いてみて、答えを導くための考え方なのだと腑に落ちました。目に見える形に置き換えると、ぼんやりとしていたものの考え方が徐々に見えてくるようです。坂道を登りきって中央の広場に戻ってくると、白い建物が現れました。

植竹さん:「ここは絶対城(ぜったいじょう)という図書館です。これまで園内で視覚的に再現された哲学の世界を巡り、ものの考え方を学んだ後に辿り着くように配置されています。哲学は宇宙の真理を解き明かしてゆく学問であり、森羅万象について深く調べるように、膨大な書物を読み尽くせば絶対の妙境に至るという寓意から、このように名付けられています」

絶対城の「絶対」とは、対立するものがない“絶対的”という意味。「では、ここが哲学世界のゴールなんでしょうか」と尋ねると、植竹さんは「いや、ゴールはない」と答えます。

植竹さん:「絶対城の先に『相対渓(そうたいけい)』という空堀があり、『理想橋(りそうきょう)』という石橋がかかっています。かつてその先に『理外門(りがいもん)』という裏門がありました。これは、哲学をどんなに研究し尽くしても、『理外の理』という解き明かせない部分に行き着いてしまうことを表しています。また同時に『理外の理』に到達することが哲学の理想であり、そのための取り組みが真理の探究であることを表現しています。哲学の世界にゴールはないんです」

どんなに考えぬいても、この世にあるすべての不思議を説明し尽くすことはできないということ。哲学世界を巡る道中の最後には、あまりにも深い考えが込められていました。

しかし、解き明かせたこともあったようです。

絶対城の近くに、「幽霊梅(ゆうれいばい)」という背の低い梅の木があります。井上の自宅にあった、木の下に幽霊が出ると騒がれた梅の木を移植したもので、今の木は3代目だといいます。

井上の自宅に出た幽霊は、よくよく調べてみると、枝に映っていた部屋の灯りだったことがわかり、井上は「幽霊の正体見ればランプなり」と笑ったそうです。

幽霊画などを収集するほど妖怪好きだった井上。彼は妖怪の存在を科学的に解き明かそうとする中で、やがて不思議な現象の多くが偽物だと気付きました。

公園内に木を移植した後も似たような現象に遭遇し、彼は自分の心の持ちようで何気ないものが妖怪や幽霊に見えるという結論に行き着いたのです。こうした考え方で、後には「こっくりさん」の謎も究明しています。妖怪博士は誰よりも妖怪をリアルに受け止めていたようです。

世の中不思議なことだらけ。謎を謎のままで終わらせず、哲学を通し探求することで人の営みを考え続けた井上円了の思いが、いまもこの公園に生き続けています。

哲学堂公園

東京都中野区松が丘1-34-28
TEL:03-3951-2515
営業時間:8:00-18:00(4/1-9/30)
定休日:年末(12/29-12/31)

ライター

埼玉県生まれ、群馬県育ち、東京都在住の関東人。エジプト、トルコ、ギリシャ界隈の歴史が大好きな世界史系歴女。シャーマニズム、古今東西の墓文化、ハロウィーンなどミステリアスなものにも惹かれる。

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