vol.02 鎌倉にて

窓から見える風景

こんな時間はいつぶりだろう。溢れてくる言葉を忘れないようにと、鉛筆で紙に書きつける私。前はよく時間をとってノートにそのとき悩んでいることや嬉しかったことなどを書くようにしていた。けど、忙しさを理由に書かなくなっていた。いや、書きたいことが特にない毎日だった。そんな今日はなんだか久しぶりに心が動いた気がして、忘れないようにとメモを取っている。

私はいま、江ノ電長谷駅の宿にいる。仕事で、鎌倉で人に会わなければならず、それが金曜日だったので、せっかくだからと長谷にある、行きたかった宿に泊まることにした。宿に着いたのは18時くらい。都内に残る後輩たちと仕事の連絡を取り合い、自分の仕事も片付けるためにパソコンに向かう。そして、部屋には小さな正方形の窓がひとつあり、その窓から見える景色をゆっくり眺めていた。澄んだ夕方の空がとてもきれいで、窓に切り取られたその景色はまるで絵画のようだった。

徐々に日は暮れてゆき、気がつくとあたりはすっかり真っ暗。20時ころ、食事に出ることにした。やさしそうな宿のご主人に周辺のおすすめのお店を聞くことにした。お酒が飲めるか、カウンターでも良いか、と丁寧に聞いてくれて、宿から10分歩いたところにある、小さな寿司屋を勧めてもらった。「ご夫婦の掛け合いが楽しいお店です。野球がお好きな大将なので、今日もテレビがついているかもしれません。一緒に見るといいですよ」と教えてくれた。

外は昼間の暑さがうそのようにひんやりとしていて、半そでで出てきてしまったことを後悔した。この時間、長谷駅周辺には観光客はほとんどおらず、住民もいなかった。

店に着き暖簾をくぐると、女将さんが「あ、三宅さんですね。お待ちしておりました。」と笑顔で迎えてくれた。お客は私だけで、宿のご主人の前情報どおり、野球のテレビ中継がついていて、お父さんはそちらに夢中だったようだが、すぐに私のためにカウンターをきれいにしてくれた。

実は私、お酒が大好き。でもこう見えて、旅先で一人で飲みにいくのはこれが初めてだった。普段は人見知りせず誰にでも話しかけるが、どうも食事となると、誰かと無理に話さなければいけないのではと考えてしまって、なかなか挑戦できないでいた。本当は宿のお食事でもよかったけれど、せっかくいつもと違う空間で夜を過ごすなら、とドキドキしていた。

鎌倉の地ビールと、握り寿司(ちょっと奮発して3,500円のコース)を注文し、ぼーっと野球中継を見ていた。すると大将が、「良かったらこれどうぞ」と、長谷駅周辺の観光マップをくださった。「どこから来たの」「なんだ、東京から」なんて、他愛のない世間話をしていた。

鎌倉ビール

鎌倉で食べたお寿司

鎌倉のおすし屋さん2

驚いたのは、店のご夫婦が私の実家のある仙台にご縁があったことだ。それがわかったのは、贔屓にしている野球チームを聞かれたときだった。

私:「仙台出身なので、好きというほどではないですが、しいていえば楽天ファンですかね。父がよく見ています」

女将さん:「あら、そう。仙台といえば、作家の伊集院静さんはご存知? 彼、よく若いころこの店に通ったのよ。仙台のご自宅にも伺ったことがあるの」

私:「え…、伊集院さん、私の地元の街に住んでいらっしゃいます。偶然ですね。あんな小さな街のこと、東京に出てきてから、知っている方を初めて知りました!」

それから話が弾み、私の家族のこと、今の仕事のこと、お二人のご家族のこと、たくさん話をした。普段の私を知らない人とこんな風に話をして、さらけ出したのははじめてだった。

楽しい時間はあっという間。応援しているチームが勝ったところで、お開きの時間がきた。さっさと食べて帰ろう、と思っていたのに気がついたらあっという間に時間が経っていた。

帰り際、お父さんが「お嬢さん、これをもって行きなさい。」と、足型の飴をくれた。どこかで見覚えがあると思うと、私の死んだ祖母がくれていた懐かしい、あの「べっこう飴」だった。ああ、鎌倉の大仏の足ってことだったんだ、と感慨にふけると同時に、地元と私とつながるちょっと奇妙な体験に、感動してしまった。

べっこう飴

宿に戻ってシャワーを浴び、23時には布団に入った。また正方形の窓を少しだけ開けてみる。あたりはしんとしている。耳をすませると、聞こえるのは虫の声や風の音。遠くで踏み切りの音も聞こえた気がした。寿司屋の大将に、「明日の朝は、開門と同時に長谷寺に行くといい。泊まった者だけの特権だ」と教えてもらっていたので、いいつけを守り、朝8時の開門に向けて目を閉じた。

翌朝も快晴。支度をして、朝食前に長谷寺に散歩をすることにした。日差しは少し強かったけれど、まだ冷たい朝の風が清々しい。朝を感じると、その街の一員になれたような気がしていつも得した気分になる。思わず一人で深呼吸をした。海のにおいがした。

長谷の小路

紫陽花シーズンだったので、長谷寺はすでにちょっとした列を作っていたが開門と同時に、中に入ることができた。紫陽花街道をひとりでゆっくりと歩き、色とりどりの鮮やかな紫陽花を見て周った。朝の贅沢な時間の過ごし方ができて満足した。

 

長谷寺からの風景

あじさい

戻ってきて朝食をいただき、宿をでた。帰りは江ノ電には乗らず、鎌倉駅まで歩いて行くことにした。昼過ぎには都内の自宅に戻り、洗濯をして、午後の時間を本を読みながらゆっくり過ごした。

人生に忘れられない旅があるのだとしたら、きっとこの旅もそのひとつだと思った。知らない人との出会う楽しさ。静かな時間。都心からほんの少し足を伸ばすだけで、遠くへ行かずとも、こんな贅沢な時間が得られることを知ったのだった。こうした旅するような暮らし方をこれからも続けたい。そして、その度に、私の心を刺激するなにかに出会いたいと思った。

江ノ電

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仙台生まれ。好奇心旺盛。週末、街歩きしながら外でビールを飲むことに至福を感じる。好きな街の種類はこじんまりした居酒屋がある場所。口癖は「なんとかなるさー」。最近、山ごはんに興味津々。

このコラムについて

【スナック あさこ】編集長の徒然日記

haletto三宅朝子編集長が日々思う、暮らし方や街歩きのための街の見方、住み方などをエッセイとして綴ります。よもやま話から人情話、噂や、偶然見つけた教えたくなるあんなことまで、世間を取り巻く事柄について、halettoな視点で読み解きま...

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