着物のある生活に一歩近づく体験を - 「東京染めものがたり博物館」

春になると、この季節に亡くなったおばあちゃんを思い出します。茶道の会に通っていて、凛とした着物姿が印象的だったおばあちゃん。その着物は私にも着られるようにと綺麗に残されていたけれど、袖が短くて残念な思いをしたっけ。

たまには、着物でおでかけするような「大人の女性」になりたいと思いながら、年齢を重ねそろそろいい年になってきた気がします。自分で着物を選べるように、知識を深めたいなんて思っていました。

そんなある日、「東京染めものがたり博物館」という場所を知りました。都電荒川線の走る神田川沿いにあるこちらでは、「こぎれ」という小さな布に実際に柄をつける染物体験ができるとか。「江戸小紋」や「江戸更紗」という染物を扱う富田染工芸による小さな博物館です。

京都や金沢ではなく、東京の真ん中に染物職人の開く博物館があるなんて。着物の生地となる染物の歴史や、その作り方を直接教えてもらえるのか。まずは着物の知識がつけられそうだなと、憧れの着物に一歩でも近づけることを期待しながら、でかけました。

3月のある日、都電荒川線面影橋駅。神田川をこえて、ちらほら桜の咲き始めた川沿いを歩きます。5分ほどで、「東京染めものがたり博物館」に到着。「川のあるところに染物屋あり」といわれるように、富田染工芸は神田川沿いに大正3年に創業した東京染小紋の老舗。

こちらの工房では、江戸小紋や江戸更紗という生地を作っているそうです。博物館を兼ね、予約制で染物体験もできる珍しい場所。また、伝統工芸士の職人さんによる講義が受けられます。

紺色の暖簾をくぐると、そこは長い板が並ぶ職人たちの工房。薄暗く、ひんやりした空間。染料でしょうか、美術室のようなにおい。石油ストーブの上には湯の張られたお鍋。なんだか懐かしい雰囲気です。

道具がいっぱいの通路を抜けて、建物の奥へ。細い階段を上ると、2階には広い畳の空間が。この場所で、着物についての基本講義が始まります。この日は、大手着物メーカーの方々も訪れていました。上品な着物姿の方がたくさん。

今回の講師は、染色工房の社長であり、博物館の館長でもある富田篤さん。お忙しい中、特別に時間を合わせていただきました。背が高く、スッとした背筋は着物が似合いそう。ニコニコして優しそうなおじさんです。着物の知識ほぼゼロの私。専門的な講義かと身構えていると、「着物の生地一枚(一反)の長さはどれくらいですか?」という館長からの質問が飛んできます。

自信なさそうに「3メートルくらい」と答えると、館長はニコッと微笑んで他の方にも聞いていきます。はずしたかな・・・と思っていると、やはり、現在の一反の長さは13メートル。思ったよりずいぶん長かったのですね。

答えを間違えても笑顔でキラキラした瞳を向けてくれる館長との、笑いあり、質問ありのやり取りで、講義はずっと楽しい雰囲気。絹糸のこと、生地の種類、着物の基礎知識を丁寧に説明してくれました。

染物には、あらかじめ糸を染めて柄を織る「先染め」の生地と、生地に柄をつける「後染め」の二つのタイプがあります。こちらは江戸小紋を中心とする「後染め」を製作している工房です。江戸小紋の染め方は、型紙を使って柄の白い部分をあらかじめ刷り込み、あとから地色を付けていくというもの。

見せていただいた紅型(びんがた)の型紙。複雑な模様に、職人の技を感じます。

講義の中でも私が気になったのは、江戸小紋の歴史。江戸小紋は、無地に見えるほど細かな柄が特徴で、江戸時代には家の格によって由緒ある柄が限定されていたということ。この柄を生み出す型紙は江戸時代から紀州藩で作られ、今も三重県の鈴鹿市に伝統工芸として受け継がれているそうです。

江戸小紋の格の高い柄、「鮫」の型紙が手元に回ってきたときは、その精巧さに心打たれました。鮫の肌を模した細かな点が半円形に繰り返され、その規則正しい様子はまるで機械で打ち抜いたよう。

江戸小紋の代表的な柄、「鮫」の型紙。手作業で造られたとは思えない精巧さ。

実際は、彫師の作った型紙の方が、機械で打った点よりも一つ一つの円がシャープにくっきりとした形に切り出されているという話にも驚き。彫師は美濃和紙に柿渋をつけ丈夫にした3枚の型紙を重ね、よく研がれた鋼で機械よりも精密な技で細かい柄を彫り出しているそうです。技の伝統や、地域に限定した職人芸という歴史の重みに感動しました。

今でも、型紙を作る彫師と染物職人のやり取りがこの伝統を守っていると、熱っぽく語ってくれる館長の話に引き込まれました。一枚の型紙にすら、長い歴史と深い人間ドラマが受け継がれているのだと感動しました。

約一時間半の講義が終わり、工房見学へ。一本に束ねた黒髪が印象的な職人、相原ゆみさんが、ところ狭しと道具が並ぶ迷路のような工房内をてきぱきと案内してくれます。

型紙が収められた、天井近い高さの棚。

染めものの命、たくさんの染料が並びます。

工房の中は作業に使われる道具でいっぱい。

相原さんが現在制作しているのは、「江戸更紗」の型紙。更紗と言うのはインド発祥の染織工芸品。こちらの工房では江戸小紋の他に、江戸更紗も扱っているそうです。日本で生まれた江戸小紋のシンプルな柄とは違い、ルーツがインドというだけあって、江戸更紗にはエスニックな魅力も加わります。鳥や花など細かくて美しい図案が目を引きます。

江戸更紗の文様。型紙で抜いているとは思えない躍動感。

この型紙は江戸小紋の物とは違い、折れ目がついてしまうとダメになってしまう繊細なものだそう。華麗なデザインを紙に彫りだしていくには、相当な集中力がいるはず。細かな作業をコツコツと積み上げていく先に、美しい作品の世界が広がっていくのだなと、職人の世界を垣間見た瞬間です。

相原さんは、古い着物が好きで、3年前から職人の仕を始めたそうで、今は好きな着物を着られないくらい忙しいのだということ。一生懸命に職人芸を身に付けようとしている相原さんの真っすぐさに一人ジーンとするのでした。「まだまだ新人」と言いますが、職人の道に心を決めた姿をまぶしく感じました。

最後は、何十年も職人の技を磨いている浅野匠進さんによる染物体験の始まりです。柔らかい表情の中にも、揺らがぬ瞳の力強さを見せる熟練の職人。

浅野さんはこの道何十年のベテラン。

長い板に広げられた白い生地の上に型紙が載せられている前に立つところから、体験は始まります。この肩幅くらいの型紙一枚分が「こぎれ」として持ち帰る部分になります。髪でできているとは思えないほどのハリを感じる型紙の質感。細かな桜がちりばめられた柄にときめきを感じる私。素敵なこぎれになりますように。

まっさらな絹の生地。ここに、型抜きで模様をつけていきます。

江戸小紋は、白く残したい部分に色がつかないよう、型紙を使って糊で蓋をする工程が最も神経を使うところ。長い布地を染める際も長い型紙ではなく、肩幅くらいのこの型紙を繰り返し置き換えて染めていくということ。継ぎ目で柄にずれを出さないようにするのは、高い技術がいるそう。微細な模様の型紙も多い中、少しでもずれてしまうと、やり直しです。

糊で、白く残す部分に蓋をしていく。右が、すでに糊をした生地。

今回は型紙一枚分なので、そこまでは難しくないのかなと思いつつ、型紙の上から、黒くてドロッとした糊を広げます。木でできた小さなヘラを前後に繰り返し動かし、端から糊を薄くひきのばします。始めの何往復かは浅野さんが手を添えて力加減を教えてくれました。

手前1/3が浅野さんのサポートによるもの。中央にうっすら線が見えるところが、ムラが出てしまった部分。

単純な作業に思えますが、なぜでしょう、一人でやってみると難しいのです。型をはがして糊のついたところを見ると、一緒にやってもらったところに比べて、自力で伸ばしたところは糊の厚みが均等ではなく黒く染まっている部分にムラができているのがわかります。この後、余白にサインをつけて体験は終了。

自分のしるしを入れると、さらに愛着が。

柔らかい糊を手先を使ってスッと一気に伸ばすのがコツで、一人前になるには10年以上かかるとのこと。浅野さんはこともなげにやっているように見えますが、できない人には10年経ってもできないという話も納得です。浅野さんの「素直さが大事」という言葉に、普段の自分自身を振り返ってしまう瞬間でした。はじめに受けた着物や染め物の講義も普段は、浅野さんが受け持っているそうで、こちらも聞いてみたいなと思いました。

今回見せてもらった型紙と染め職人の技で作られる、シンプルだけど美しい江戸小紋や、色彩豊かな江戸更紗。一枚の生地に職人の熱い想いや受け継がれる伝統が染み込んだ着物文化への興味がさらに膨らみます。

時を超えた伝統芸で手間暇をかけて作られたものだからこそ、丁寧に装い、大切に保管する。ゆったりとした日本文化に、日本人でありながら憧れてしまいます。忙しい毎日の中でも、着物姿でお茶を習っていたおばあちゃんのように、伝統のある着物を着こなせるような大人の女性になりたいと思います。ゆったりとしている中に凛とした着物姿の女性への憧れを新たに、面影橋を後にしました。

数週間後。体験で作った桜柄の「こぎれ」が届きました。

まずは、この小さな伝統工芸品が私にとって「着物のある生活」の第一歩になりました。

東京染ものがたり博物館(株式会社 富田染工芸)

 

新宿区西早稲田3-6-14
JR高田馬場駅 徒歩15分、都電荒川線面影橋 徒歩2分
TEL 03-3987-0701
開館時間 10:00-12:00/13:00-16:00
定休日 毎月第1・2・4土、日・祝
料金 入場無料、型染体験「こぎれ」2000円
※5名以上で開催、要問合せ
※館長による講義を希望の場合は要相談
http://www.tokyosenshoku.com/partner/member/tomita/tomitasomekougei.html

ライター

東京都生まれ。休日は近場の町探検へでかけます。気になった喫茶店にふらっと入り一息つくのが至福の時。出かけた先でお土産におやつを買うのが楽しみ。

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